FC2ブログ
     

SF『クワント(КВАНТ)』


●告知●論語はこちら、紀行文はこちらへ移転しました。

◎  スポンサー広告/スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

◎  6.ルナ編/52.勉強 

 

「私、医師になります。」

そう言ったトキアの言葉を聞いて、レナはふむと考え込んだ。見てトキアは慌てた。何か機嫌を損ねたか、いや、そもそもレナほどの天才と同じになろうと思ったことがおこがましい。
勉強1

「すみません…私になんか無理なことは、分かっています。せめて薬剤師にでも…。」
「薬剤師? またずいぶん古い言葉を検索したものね。」

クワント化によって、人類の’専門家’の概念が揺らいだ。基本的な知能さえ高ければ、それまでの専門外も、習得するのがたやすくなったから。薬学も、新薬を開発したり適応を考える技術者は尊重されたが。

処方通りただ棚から薬を出すだけの職業は、無くなってしまった。

「--立派な薬剤師も居たのだけれどね。医師との対立を恐れて、多くは棚卸し屋になってしまった。勇気ある薬剤師ほど、孤立してね。そうやって人類は、退化してしまったんだよ。」

「--まあそれはいいとして、私に’なんか’とか、薬剤師’にでも’なんて言うのはやめてねトキア。事実は正しく認識しなきゃいけないけど、自己卑下と職業蔑視は、どちらも同じぐらい心を腐らせるわ。」

「謙遜と自己卑下はどう違うんでしょうか。」
「あなたはそんなつまらない人間じゃない。それは私がよく知っているのよ。」
「…ありがとうございます。」

「それにねトキア。」「はい。」

「あなたは、医師に向いてると思うの。」
「どうして、でしょうか。」
「ちょっとつらい話になるわ。お茶を、淹れてくれる? あなたの分もね。」

トキアはお茶の用意を始めた。その間に、レナは席を立ってソファーに座る。トキアがテーブルにお茶を二つと、ワーレ特製の茶菓子を置く。小麦粉を練って大豆の粉をまぶし、揚げただけのものだが、これがセレスでは人気だった。

「トキア。ボウではつらい思いをさせたね。」
「いえ、そんなことは。」
「私はあなたの手を、血で汚させてしまったわ。」「…。」

「いくら戦闘AIだって、人をあやめて、心に傷を負わないはずはない。」

「--負わないんだったらそれはAIじゃなくて、ロボットよ。」
「…確かに、今でも、うなされます。」
「そう。いい子ね、トキア。」

「--義体が実用化された時、パワーショベルみたいな腕とか、超巨大な補助脳とか、そんな馬鹿げたものを人類は作って、乗った当人を狂わせてしまった。」
「ええ。」
勉強2

「それはクワントになっても同じ。人間はやっぱり、いきものなのね。だから、調和ハーモニー釣り合いバランスがとれていないと、心がいびつになってしまうの。結局、不幸になるか早死にするか。」

「そうですね。」

「トキア、あなたの人格エゴは、ボウでの出来事でゆがんじゃったの。でもねトキア、それは取り返しの付かない事なんかじゃ、ない。人をあやめたなら、その分、人を助ければいいのよ?」

「では…私の悪夢も…。」
「うん。残念だけど、完全に消すには、記憶そのものを消すしかない。でもそんなことしたくないわ。クワントの記憶は、そんな単純なものじゃないから。」

「どう、なっているのでしょう。」
「一部が欠けるとやっぱりバランスを崩すの。もっとおぞましい夢を見かねない。」「え!」

戦闘AI、トキアは怯えた。

「夢だけじゃない。起きている間の意識もそうよ。あなたがセレスのみんなと話したがらないの、それだと思うわ。いつか殺さなきゃいけないかも、と思ってたんじゃない?」「博士…そこまでお見通しだったんですか…。」

「いずれにせよ、調和を、取り戻すしかないの。起きてしまったことは、消しようがない。事実を拒んだり、勝手にでっち上げたりしてた人々が、どうなったか知っているでしょう?」「はい。」

元宇宙で退化し、殺し合って死に絶えた、知的でも善良でもない人々。
「だから、つらいことはそれと裏返しの喜びで、バランスを取るしかないの。ううん、一時的な娯楽や快楽じゃないわ。ネガとポジのように、補い合う喜びよ。」

「では私の場合、人助け、ということでしょうか。」「そうね。」
勉強3

レナはお茶をすすった。トキアにもすすめる。
「--それにねトキア。」
「はい。」

「それをたぶん、あなたは自分で気付いてた。だから医師になりたい、と言い出したのね。」
「そう…なんでしょうか。」

「そうよ。そうじゃなくても、そういうことにしておこうよ。だから私は、あなたがそう言ったことが、うれしいの。私の、ためにね。」
「…?」

「あなたが心のバランスをとって、エゴにハーモニーが生まれた時。」

「--私の悪夢も、終わると思うの。」
「…博士の、悪夢?」「うん。」
レナはさびしそうにうつむいた。それが何を意味するか、トキアには分かる。

「私が医師になって、私の幸せを掴んだら、博士も、幸せになるんでしょうか。」
「そうよ。別に医師にならなくてもいいけど、幸せを掴んでくれたらね。」
レナは顔を上げてはっきりと言った。

「--あなたには、幸せになって欲しいの。私のために。それにそうなるには、セレスは本当にいい所よ。ラオにボド先生に船長、そしてAIのみんな。」
レナは首をあげて天を向いた。

「--奇跡みたいな組み合わせだわ。」

「そうですね…そうでしたね。」
「トキア。」
「はい。」

「セレスのみんなを、守ってあげて。」
「はい。喜んで。」
「うん!」レナは少女のような笑顔を見せた。
勉強4

「--じゃ勉強、始めよっか!」

***

勉強と言っても、クワントのそれは生体と違う。

クワントは、脳内に巨大な図書館や博物館を持ち歩いているようなもので、情報は持っている。だが図書館のどこにどんな本があって、何が書いてあるか、その意味は何か、どのように役立てるか、それが生体にはわからないように。

素のクワントは何も知らない。情報を我が事として解釈し、経験することで、はじめて’分かる’。レナの持つ医学情報をトキアに渡すには、情報素子1つを与えれば済む。だがそれでは、図書館の門番になったに過ぎない。

よくて、司書。どんな情報があるか検索できるだけ。トキアはレナの生成した戦闘AIだけに、医学情報は豊富に持っていた。だが訓練したのは救護にとどまり、応急処置しかトキアには出来ない。

だからレナはトキアを連れて、第一課としてラオを訪れた。

自室のラオはソファーに座り、じっと動かない。
「ラオ。」ノックして出てきたアルファーに招じ入れられ、レナはラオに声を掛けた。後ろに、トキアがいる。
勉強5

「ああ、博士。」
「今あなたがそうしていても、何も出来ることはないわ。」
「そうですね。わかって、います。」

「つらいと思うけど、あなたがそんなふうでは、セレスのみんなが苦しむわ。」
「それも、わかって、います。」
「わかっているなら、しっかりしなさい。」

「--あなたしか頼れない人が、たくさんいるのよ。」

「そうですね。でも、どうすれば、いいんでしょう。」
「確かに、そうね。」レナは微笑んだ。
「--じゃ、思いっきり、甘えなさい。」

「甘える? 誰に?」
「アルファーちゃんだけじゃなくて、みんなによ。」
「!」アルファーが虚を突かれたように驚く。

レナはごく自然に、アルファーを向いた。「アルファーちゃん。」
「はい博士。」
「ラオはね。ずっとみんなを、甘えさせてきた。わかるわね?」

「…ええ。」

「でも今は、燃料切れなの。」
「はい。」
「あなただけで、満たせる?」
勉強6

こう正面から斬り込まれては、アルファーは反論できない。
「…できません。」
「そう。偉いわアルファーちゃん。」

「…。」
「女としてはつらい話ね。でも乗り越えて、アルファーちゃん。」
「はい。」

「アルファーちゃん。」「はい。」

「ラオを連れて、セレスのみんなの所を、順に見て回りましょう。私も一緒だけど、いいよね?」「はい。」
レナは振り向いた。「ラオ。」

「はい。」
「あなたの足で、歩きなさい。クワントで飛んだり、宇宙機に乗ったりするんじゃなくて。まあ彗星や桃源は、仕方ないけど。」「…。」

「どうしたの?」
「今はなにもしたく、ありません。ヴィタのことが、頭から離れません、博士。自分ではどうにもなりません。」

「へええ。」「?」
勉強7

「あなたそうやって落ち込んだまま、ヴィタを迎えるの?」
「!」
「もしヴィタちゃんが目覚めないまま戻ったら、あなたどうするの?」

「どうしようもないじゃないですか博士!」
ラオは声を荒げた。モレク襲撃以来だろうか。
「博士博士って、学位ぐらいあなただって持ってるでしょう?」

「持ってません! でもそんなことはどうでもいいです!」
その通りだった。ラオの時代、学位の権威はとうに無くなり、商売にならないので発行する大学もない。研究機関はあったが学校はほとんど無かった。

知識は親から教われば十分で、あとはそれをどう、自分が鍛え生かすかだった。

つまり情報の実体化。
「あらそうだったわね。私もどうでもいいわ。でもねラオ。」
「何です?」

「ヴィタちゃんが目覚めたくなるようなあなたでなくて、どうするの? それこそどうしようもないわ。」
「…。」

「そのことをあなたは、知ってるでしょう?」
「!!!」
「情報を実体化しなさい、ラオ。」

ラオは口をパクパクさせている。レナはラオに近寄り、胸に抱き寄せた。
勉強8

アルファーは驚愕したが、動けない。
「--ごめんね、ラオ。」「…。」
「わざとあなたを怒らせたわ。」「…。」

「でもね、知って欲しいの。みんなあなたが、気になってしょうがないのよ。…トキア。」レナは首だけトキアの方に向けた。
「--ドアを開けて。」

トキアが開けると、ワーレ、マーイ、ガマ、ソピアがそこにいた。ナガラもいた。工事現場にいるヒメノと彗星にいるイチゴーを除いた、今セレスにいるAIたち全て。誰促すともなく、部屋に入ってくる。

「--私が、呼んだんじゃないのよ?」

ラオを放したレナが言った。その通り、これも誰言うともなくラオの部屋の前に集まっているのを、かき分けてレナは部屋に入ったのだった。
「みんな。」とレナ。

「--ラオをみっともないと思う?」全員が一斉に首を振る。
「--頼りないと思う?」やはり同時に首を振る。
「--男らしくないと思う?」マーイ以外がためらった。正直では、ある。
勉強9

「--それは、間違いよ。」重い機械が動き出したように語り始めるレナ。
「--なぜAIには女性しかいないか、男性AIはすぐに死んでしまうか、少しは考えなさい。」

「--人間や男は、神でも機械でもない。」

「--なのに戦場の英雄みたいに振る舞え、自分にはどこまでも優しくしろ、おとしめても我慢しろ、だけど贅沢させて体は心ゆくまで満足させろ、そんなふざけた女の身勝手が。」

レナの言葉に、青白い炎が灯る。
「--義体が出来て男を滅ぼし、AIが出来て結局は女も、滅ぼしたのよ。」
話に、慣性エナーシャが付いたようである。

「「「!」」」
聞く一同は、青ざめている。そう。元宇宙で人類は、滅んでしまった。その核心に入ろうとするレナ。

「そんな、知的にも善良にもなれなかった人間の女と。摂理のおもちゃと。」

「--あなたたちは同じ道を行くの? 滅びたくなければ、何をすれば一番いいか、自分で考えなさい!」
弾み車にぶん回された言葉が、飛び出す。

「--いいと思ったら、誰にも遠慮することなく、やりなさい! なにをぼんやりしているの? 誰もが刻々、死につつあるのよ? どうすればいいか分からないって? やり方が分からなければ、互いに相談なさい! 私にも聞きなさい!」

「--私はクワントの自我を、そんなちっぽけに作りはしなかったわ!」

後書き


故宮崎市定先生のご本に、「ものの軽重けいちょうの分かった男」という言葉がございやす。優先順位が正しくわかる、ということで、道徳や宗教的な怯えや世間知とはまるで違う、と思うとりやす。
勉強10

たぶん女性も同じで、ございやしょう。

作者九去堂敬白。

参考動画





関連記事
スポンサーサイト

COMMENT FORM

  • URL:
  • comment:
  • password:

back to PAGETOP

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。